2008年04月30日

あらゆる研究は -- 平等に価値がない!(TM)

住井blogに反応。

暴言なので嫌いな人は読まないようにしてください。
http://unqualified-reservations.blogspot.com/2007/08/whats-wrong-with-cs-research.html

System software designerにTanenbaumが入ってないのにワロタ、という普通の感想は置いておいて。

CS研究の90%は屑である。ただし、あらゆる研究の90%は屑である。

アインシュタインが特殊相対性原理を発表したのは奇跡の年、1905年。では、この年に出版された論文で、本日の我々が知っている論文はいくつあるだろう? 物理学に限らなくても良い。片手を超えるだけの論文を挙げられる人がいれば、相当に詳しい方だろう。

そして、今までに発表された世界中の論文のうちで、屑でない研究ははたして何パーセントあったのだろう?
90%が屑でない分野など、どこに存在するのだろう?

私の意見はこうだ。

99%はすべからく屑だ。
そんな分野はどこにもない。
CSは特別事情では全くない。

研究は、すべからく、その開始段階から完全に洗練された形にすることはできない。
そして洗練されていない研究は、はっきり言って役に立つのかもわからない、いわば屑だ。いくつかは最初からまばゆい光を放つものもあるが、それはただの輝かしい屑だ。
完璧な研究は無限の時間を要求する。研究者の時間は有限、それも最近はかなり短く、厳しいものになりつつある。洗練したものを得られる道理はない。さらに、何が屑であって何が屑でないかを判別するのは、その分野の専門家でも難しい。過去のノーベル賞やフィールズ賞、チューリング賞受賞者の受賞業績が、当時どのような評価を受けていたかを見てみると良い。重要論文のいくつかは、その分野の非常につまらない雑誌やつまらない学会に載っているから。

後続の研究のためだけに存在する、研究の開始段階の論文もそうだし、また研究者の修練の場としても、屑は必要不可欠だ。なにせ、何が屑であって何が屑でないかと同じく、誰が屑であって誰が屑でないかは、その分野の専門家でも簡単に予測することはできない。Jim Grayの博士論文はパーザの研究だ。元トピック主が彼の研究を見たらけちょんけちょんに貶していただろうことは想像に難くない。

だから、屑は必要不可欠だ。

そしてだからこそ、「この研究/論文はおもしろい」「この研究/論文はつまらない、屑だ」という主張は忌憚なく交わされるべき内容だと思う。研究の本当の死は、その研究が何にも繋がらず、何にも役に立たないときだ。たとえ90%の人が屑だと言っても、残りの10%の人が興味深いと評する論文があれば、その論文はとても良い論文だと私は思う。だが屑と思う人が10%で、興味深いと思う人がいなかったら、その研究は真に予算の無駄と呼ぶべきだろう。ただの屑は同じ内容に資源が浪費されることを防いでくれる(マイクロカーネルの論文はRob Pikeに言わせるとこの部類に入るのだろう)が、評価すらされない論文は、真の意味での資源の浪費だ。そして、元記事に挙げられている内容は僕の目から見て、少なくとも浪費を防ぐ屑であり、場合によっては人に評価すらされる屑だ。それは価値ある屑だと思う。

僕はCSに限らず、あらゆる分野で評価すらされない論文が増えていることは危惧している。特に、近年"microspecialization"を進めすぎた分野が多々存在し(どこのランタノイド化学とも、どこのカーネルベンチマークとも言わないが)、袋小路に陥っている状況を見ると苛立たしく思う。そしてそういう研究は避けられるべきだし、そういう結果が予想されるなら、"beauraucrat"の人はそれを最大限の努力をもって防ぐべきだと思う。せめても、自分は今後もそんな研究を行わないようにしたい。希望でしかない話ではあるが。
(いや、待てよーー本当に、増えているのか? ひょっとすると、常に比率は変わっていないのかもしれない。いずれにせよ、自分はそうでない研究を行いたい、という気持ちに変わりはない。)
posted by chun at 03:27| 暴言