2014年03月19日

「Oracleを教えているのよ」

研究への予算配分の話が出るたびに、日本でやらなくとも各国の成果が論文として公開されるのだから、それを読めばいいじゃないか、日本は基礎研究に金など出さなくていいのだ、という意見をよく目にする。私は自分の体験から、そうは思えない。

大学院生だった頃、ICPC(国際大学対抗プログラミングコンテスト)の代表選手たちが国外に向かうとき、コーチとして付いていったことがある。暇な時間には他の大学のコーチたち(多くは、計算機科学を受け持つ教授であり、院生は珍しかった)と話していたのだが、ある国の国立大学の講師の人との会話が軽く衝撃だった。

彼女はcomputer scienceのlecturerと名乗った。学生たちのコーチを務めるには数日の間選手に同行せねばならず、まぁ非常勤講師ということはあるまい。セオリー通り、私はこう切り出した。「何の研究をされてるんですか?」「? ああ、Oracleを教えてるのよ」「ええっとoracle... 計算量周りの研究ですか?」「?? えっ」「えっ」

えーとちょっと待った。それ以外でCSでoracleって知らんぞ。工学に同じ名前の別の概念あったっけ? えーとえーと。まさか。「で、データベース?」「そう、Oracle。」なんと、oracleではなく会社のOracleか! まるで「当店のポイントカードはお餅ですか」並のコントだ。

話そのものはその後なんとか繋がったのだが、ものすごく気持ち悪い感覚を覚えたので、なぜそう思ったのか、会話しながら脳内で冷静に分析していた。"Oracle"と最初に聞いた時、自分は「まさかそっちではあるまい」と思った。彼女は"relational database"と言わず、"Oracle"と言った。"Oracle"に「計算量周りですか」と返して、素でわからない顔をされた。

彼女の英語は流暢であったから、単語力に問題があるとは思えない。逆に、単語力に問題があると思われるほど酷い英語をこちらが喋ったわけでもない(たぶん)。しかし、relational databaseという言葉は、その後の会話でも一度も出て来なかった。ついでに会話の中で聞いてみたが、"bags algebra"という単語も知らないようだった。本当に研究はせず、教育だけをしているようだった。

つまり。彼女は"relational database"ではなく、"Oracle"を教えているのだ。国立大学、それもおそらく彼女の国で一番の大学で教鞭を取る講師が、一企業の製品を教えている。これが違和感の原因である。

私の知る限り、現在の日本の国立大学では、データベースとはどういう概念でどう構成するか、という話をし、どうやって使うか、という話はほとんど行われない。海外の大学についてはわからないが、USの大学のうち、講義ノートが公開されている講座ではだいたい同様であるようだ。教育と研究が日本よりよく分かれていて、データベースの講義が研究から完全に分離している、ということもあり得るが、そうだとしても"Oracle"ではなく関係データベース一般の話をし、実例としてOracle DBを紹介したり使わせたりするだろう。"Oracle"を教えていては、Oracleに入社してデータベース自体を改良したり、Oracle DBを超える新たな製品を生み出すことはできない。また、時代の流れに対応することもできない - この会話を交わした7年前には、MongoDBは無く、かろうじてCouchDBがリリースされたばかりだった。

この時、研究をやらない、ということはこういう事なのだ、と悟った。基礎研究をしなくても、研究の果実は外国から持ってこれる。ただし、成果を読んで理解できる人を、教育することができなくなるのだ。常に走り続けている人間を、走り続けているまま雇わなければ、走り続ける人を育てることなどできないのだ。

彼女の国が、専門学校としての大学から脱却し、高等教育のサイクルを回せるようになるには、あとどれぐらい掛かるだろうか。
posted by chun at 23:47| 暴言

2008年04月30日

あらゆる研究は -- 平等に価値がない!(TM)

住井blogに反応。

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posted by chun at 03:27| 暴言